いくつになっても、知らないことが多くある。恥じることなく、あきらめることなく、挑み続けるところに生きる意味もあるのだろう。
きちんと椅子に座って音楽を聴くのも、正座して新聞を読むのも、堅苦しくて苦手だ。楽しむためには、もっと自由にさせてくれ。
部屋が臭かったり、衣服が臭うとか、口臭が気になるとか、自分の臭いには鈍感になっていはしないか。老臭だからしかたない。
今どきは、少年少女にモデルになってもらい裸体を描くのは、児童虐待になるらしい。なら、大人の女性を雇いヌードモデルになってもらうのは、虐待にならないのか。不思議である。
子守唄や絵本読みは、父親の声ではなく母親の声で聞きたいものだろう。
「平和」は刺さらなかった。「憲法」など見向きもされなかった。ということだ。何を言っても、選挙期間中に何も動かなかった、ということだ。いざ解散、の時点で結果はすでに決まっていたのだ。
頑張っているフリをしている人に同情してはいけない。自分の意見と近しい人とばかり話していてはいけない。世の中を渡っていくには、裏を読まなくてはならない。落とし穴ばかりなのだから。
一般大衆にとって、憲法改定論議など気にかけていないのだろう。そんなことは政治家に任せておけばいいことだと。政治家だってろくに勉強していないやつらなのに。非核三原則を見直すという問題など、どうでもいいのだろう。怖ろしいことだ。儲け話と税金逃れにしか興味がないのだろう。政治屋に任せて好きにさせていたら、回りまわって自分たちが窮屈な無惨な生活に追い込まれるというのに。つくづく民主主義が根付いていないと思う。問題意識の低さを憂う。
高市はヒトラーになる。みんなはその危険性に気づかないのか。本人も気づいていないのだろう。高市支持は宗教である。その支持者は盲目である。何を言っても聞き入れないであろう。