遺品始末と倉庫仕舞いを考える。
不用品の捨てる手順を考える。
どん底を味わったという人の話を聞くが、大して悲惨だったためしは滅多にない。
ご馳走を食べに行くのではなく日常食を食べに行くのだから、味はそこそこでも安いのでなくては困る。
多分、動き回っても静かにしていても、寿命は同じなのだろう。長生きのための努力はしたくないし、静かにして過ごしたいものだ。
暗がりの中では、うろ覚えの歌でも唄うしかないのだろう。何も見えない、文明の灯りも身体に良くない気がするから。
一度すれ違っただけでその容姿を理解し、一度聞いただけで長い名前を覚えているような、そんな小説にはついて行けない。
欲しい情報は、与えられるのを待っているのではなく取りに行くことにしていたけれど、もうこっちに流れてくるのを待ち受ける身になるのか。
環境問題における、悪もの一点集中の対策は間違っている。もっと複雑な関係性にあると思う。
店の空いてる時間に合わせて食べるのではなく、自分の空腹具合に応じて食べるべし。
お薬手帳、健康手帳、行政統計手帳、鳥図鑑手帳、俳句手帳、災害ハンドブック、スケジュール帳、文庫本、ひとつひとつは小さいからって、数があれば結構かさばる。
通常の性行為で妊娠できない場合のための技術が、性行為なしで出産するための方法という時代になっているのか。
読みたい本は限りなくある。人生の残り時間でも足りそうにない。大きな字の本や朗読CDもあるけれど、それらには読みたいものがなかったり、スピードや体勢に難がある。
心の世界が宇宙より広いとは思えない。そもそも比較するなと。
ひどいこと言われたとしても、それが本心だったかどうかは分からない。ほめられたからと言って、本気だったかどうかはトータルしてみないと安心できない。
すべてがネットにつながっていると言うけど、すべてではない。ウェブ上に全部あると言うけど、全部ではない。ほんの最近の歴史のことだけしかない。少しの過去事例で、少しの未来予測しかしきれない。
見えているものが錯覚だとしたら、聞こえていることも錯覚で、まして味わいも匂いもニセモノばかり。この世に真に確実なものなど本当にあるのだろうか。
いったい、この身体はどうなってしまうんだろう。この家庭はどうなってしまうんだろう。この地域はどうなってしまうんだろう。この国はどうなってしまうんだろう。この世界はどうなってしまうんだろう。この宇宙はどうなってしまうんだろう。いや、どうにかして行く強い意志を持っているかどうかが問題なのだ。
人ごみの雑踏の中に紛れて、誰とも交わらず、何も語らず、静かに暮らしていく。
食べること、眠ること、体温調節、排泄、預金の残高、人づきあい、と生きていることは煩わしいことばかり。楽しめないよぉ。ヒッチャカメッチャカで。
AIが、個人の嗜好を作り出している。ニュースの選別も。見えないものはまるでなかったかのように。怖いことだ。
人は制約のある中で生きている。生きづらさを感じるのは当然のこと。楽しみを見つけていくしかない。他人を恨むまい、羨むまい。
何が効率的なのか、どうなれば機能的に優れているのか。価値的な加減さがわからない。
会議では、そのときになって「あ、それから」ではなく、事前に検討項目を出しておいて、それに従って議論してもらいたいな。
読みやすい本かどうかは、実際に読み進めてみなくてはわからない。興味の湧きそうな本かどうかは、現物を見てみなくては判断できない。題名だけ、目次だけでもわからないものだ。
コンビニ食に飽きて外食が多くなると、食費額が多くなり、体重も増加傾向にある。少量少額の外食はないものかなあ。
100万馬力だとか、東京ドーム何個分だとか、経済効果予測数値だとか、百千万億倍の用心だとか、その数感覚がわからない。
好き嫌いの拒否ではなく、「今はいらない」「そんなに多くはいらない」というだけのこと。
zoomとかYou Tubeではなく、会議や講演は実地で聴きたいものだ。
もはや食材の形をとどめているように見えても、実のところどんな養分があるのか怪しいものだ。
欲しい情報は、多くの無用な情報の間に隠れている。人生の多くの時間は、無益なもので溢れている。だからといって、無意味な訳ではない。
科学的に正しいことって、いつか変わってしまうんですよね。不変と信じるに足ることなどあるのだろうか。
書かないから書けなくなったのか、書けないから書かなくなったのか。どちらにしろ、まともに字を書くことができなくなった。
薬飲まなきゃいけないし、クリーム塗らなきゃいけないし、目薬ささなきゃいけないし、服着替えなきゃいけないし、手を洗わなきゃいけないし…。まったく、行ったり来たりで。
日々の食事、日々の整理、日々の運動、日々の会話、日々の学習。毎日をいかに楽しく過ごせるか、これからの日々。
ホコリにまみれたら、捨てるしかない。いつか使えるようになるものなどありはしない。残してため込むなど、無駄の極致だ。